HKT48の地頭江音々さんの1st写真集「彼女の名前」(玄光社)発売記念の東京イベントが行われました。イベント前の囲み取材の内容に加え、個別にインタビュー・撮影した様子とあわせてレポートします。(2023年2月5日 東京都渋谷区 SHIBUYA TSUTAYA)
地頭江音々(ぢとうえ・ねね)プロフィール 2000年9月27日生まれ、宮崎県出身 158cm O型 HKT48 TeamKIV(4期生)
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お気に入りを浴衣にした理由は
撮影は、彼女の出身地の宮崎でオールロケを敢行。観光名所から幼少期に日常的に通っていた場所までたくさんの地で撮影。衣装も浴衣、スポーツウェアなどさまざま。
「ファースト写真集ということで、どういうものにしたらいいのか自分の中でいろいろ考えて挑みました。出来上がったら友達や家族にしか見せないような素顔がたくさん入っていたので、私らしさや私の素顔をみなさんに楽しんでいただけたらと思います」
――浴衣の写真をお気に入りとして見せていただいた理由を教えてください。
「今まで屋外での浴衣の撮影があまりなかったのと、この写真集で浴衣を着ているショットをどうしても載せたくて、私のこだわりで入れていただきました。それをファンの方々がすごく褒めてくださって、ファンの方との意思疎通が無意識でできていたのが私の中でうれしかったです。
表情についても『私ってこういう顔ができるんだ』というカットも多かったので、浴衣のショットはすごくお気に入りです。
いろんな浴衣を用意していただいたんですけど、その中で、あじさいの浴衣を選びました。宮崎に飫肥(おび)という城下町があって、私はふつうに散歩で歩いていた場所でしたが、浴衣を着るだけで、一気に雰囲気が変わり新鮮な気持ちになりました」
サーフィンにチャレンジ
――今まで行ったことのない場所で発見したことは?
「宮崎の北のほうにある馬ヶ背という場所は、長い時間をかけてできた自然を感じられる場所で、元々宮崎は自然が豊かなイメージがありましたが、もっと大地を感じる場所があったのは新発見でした」
――サーフィンにチャレンジしたそうですが。
「ひざ下ぐらいまでのところでしか行けなかったんですけど、1回だけちゃんと波に乗れて、そのときはすごく気持ちが良くて『これができるようになったら絶対に毎年夏は海に通っちゃうんだろうな』と思いました。そもそも海の中で波に乗って立ち上がることが難しくて1回もできなかったので、まずは陸の上から練習してからと思います」
――撮影の衣装で大人っぽく撮れたのはどのカットですか?
「緑のワンピースで宮崎の海の岩に寝転んで撮った写真です。私が宮崎に住んでいたり帰省したときに、景色の一部として通っていた場所がこんなに素敵なスポットだったというのもびっくりしました。夕暮れもあいまって大人っぽいイメージが出ているんじゃないかなと思います」
初ランジェリーカット
――ランジェリーにも挑戦したそうですね。
「やったことがなかったので一番緊張しました。大人っぽい表情だけじゃなくて、私らしい笑顔も撮っていただけたので、緊張している顔をしていないんじゃないかなって思います」
――ランジェリーに挑戦しようと思った理由は。
「私の中で、『写真集といえば』といったところもありましたし、新しい一面をどう表現したらいいのかなと思ったときに、挑戦したことがなかったのがランジェリーの撮影でした。
一番わかりやすい“初挑戦”で、見せたことのない私の素顔を見せられるのなと思って挑戦させていただきました」
リアクションが大きかった松岡はなさん
――写真集を見たメンバーや家族の反応は。
「劇場に写真集が置いてあって、メンバーだけじゃなくてスタッフさんやメイクさんが集まって見てくれて、『これがかわいいね』『これはどうやって撮ったの?』とか、興味津々で見てくれました。
私の素をたくさん知っている方たちに褒めていただいたり、その人たちにも見せていない自分が見せられているんだと実感しました。
家族にはプレゼントしたかったんですけど、私がプレゼントする前に『予約したよ』と言ってくれて、言葉では言ってこなかったけど、楽しみにしてくれているんだなと思って、(HKT48に)加入させてくれて福岡に引っ越させてくれたのも親なので、泣きそうになりました。
親も恥ずかしがりやなところもあるので、言葉での感想は私が聞くまでは言ってこないんじゃないかなと思っています」
――リアクションが大きかったメンバーは?
「松岡はなさんなんですけど、私と目が合うたびに、この表紙のモノマネをしてくるくるんですよ。たくさん褒めてくださって何回も何回も見て、『このショットが好き』と言ってくれます。いじられているのかなと思うんですけど、すごく愛がある感想を言ってくださって、私はすごくうれしいです」
――参考にした写真集があれば。
「私の自分の人生で写真集を出せるなんて思っていなかったので、何をしたらいいのかわからなくて、結局何も(準備)できませんでした。逆に何もしなかったことによって私らしさというか、私の中身が詰まった1冊になったんじゃないかなと思います。
自分がどう写るのか想像がつかなくて、『私ってこんな顔なのか』って、自分じゃない人を見ているようでした」
2022年とチームKIVを振り返って
――2022年いろいろなことがありましたが、自身の活動を振り返ってみてどんな1年でしたか。
「新しいことにたくさん挑戦させていただきました。自分に起こらないと思っていたことにたくさん経験させていただいて、視野が広がった1年でした。
HKT48として劇場公演以外に映画、写真集、舞台に出演し、新しい空気に触れ、新しい知識が入ってきました」
――(組閣前の旧)チームKIVの楽しかった思い出と、新チームKIVで楽しみにしていることを教えてください。
「チームKIVに昇格したばかりのころは私はなっぴ(運上弘菜)と2人きりで先輩とも話せなくて、MCでもマイクを持っているだけで一言も話せずみたいなことが続いていました。自分ではそのまま千秋楽まで来たような気持ちでいたんですけど、気がついたら上から数えたほうが早くくなるぐらい後輩が増えました。
振り返ってみるといろんな先輩に支えられて、後輩に刺激をもらって、頑張らなきゃと思わせてくれるようなチームだったとしみじみと思います。
(チームKIVの)先輩たちは新しいメンバーたちをまっすぐ受け入れて、温かく包んでくれる雰囲気があって、私たちは先輩から教えてもらったことをそのまま後輩につなげられていたらいいなと思っていました。今は5期生が先輩になって6期生に同じように接しているのを見て、新しいメンバーにつなげられたのをうれしく思います。
今までチームKIVだったメンバーがどのチームになっても同じようにしてくれたらうれしいですし、『ひまわり組』でしか関われなかったメンバーたちとも、新しいKIVらしさを作っていくのが楽しみです」
松岡はなさんが表紙の写真のポーズをしているTwitterの投稿が秀逸でした。(撮影・取材 岡田)