モー娘。が、すでにターニングポイントを通過しているのは、誰の目にも明らかだ。では、いつがターニングポイントだったのだろうか。
2002年9月23日
モー娘。が脚光を浴びるようになったのは、1999年9月9日発売の「LOVEマシーン」以降で、後藤真希の加入が大きかったことは論をまたない。その後籐真希が脱退するのだから「モー娘。は終わった」と思われても仕方がない。
だが、外側から見ていると、モー娘。自体すでに変節していて、後藤真希の脱退とは無関係に突き進んでいるように見える。2002年9月23日はメモリアルデーにはなっても、ターニングポイントにはならない。
70-30=40
私の一番好きな数式だ。
これは、2001年7月25日発売の「ザ☆ピース!」と2002年7月24日発売の「Do it! Now」のCDのセールス枚数を比較した数字だ。簡単にいうと、40万枚減少した、ということだ。
しかし、これには新規の5期生ファンの数字が反映されていない。仮に、10万とすれば、50万枚つまりは50万人減少したことになる。これはファンの総入れ替えに等しい。
2001年7月から2002年7月の間に一体何があったのだろうか?
2001年8月26日
時計の針を戻すのが好きなので、1年半ほど針を戻す。
5期生募集というのは、どういう経緯、意図で始まったのだろうか?
「モー娘。=おニャン子クラブ」とささやかれたのもこの時期だが、2002年10月の現時点では、誰もそんな言葉を口にはしない。
2001年8月26日の5期生オーディションに関していえば、2001年7月の段階で「フリーターを含む4人が合格」という怪情報が流れたくらいだから、大幅増員は既定路線だったようである。
おニャン子クラブを目指すなら、「全員女子高生」という選択肢があったハズだ。逆に「全員中学生」という選択は、「モー娘。=おニャン子クラブ」という図式からの決別を意味している。
昔、浜崎、今、モー娘。
かつて浜崎あゆみがCDを乱発した時期があった。現在はモー娘。を含むハロプロ系が該当するが、それを可能にしているのは、おそらくおニャン子クラブから得た教訓ではないかと思われる。
おニャン子クラブの終焉は、音楽業界を席巻したことではなく、混乱、あるいは不毛の地にしたことに対するメディアサイドの反発、批判から始まった。
逆にいえば、音楽業界を不毛の地にしなければいい、という論理が成立するわけで、浜崎あゆみも、モー娘。もこの原則にのっとっているようにみえる。
だから、モー娘。が15歳以下、特に小3~中2をメインターゲットにした理由もわからなくもない。実利を求めるなら、この選択はベストだろう、たとえレコード大賞への道が遠のいたとしても。
騅(すい:馬の名前)逝かず
モー娘。から離れていった50万人の争奪戦はすでに始まっている。
ZONEを初めとして、上戸彩、day after tomorrowあたりのCDセールスの数字が、予想以上に多いのはその証拠だろうし、松浦亜弥、藤本美貴にも流れているとみるべきだろう。特に、藤本美貴の数字が急増しているのは、曲の良さ、衣装のインパクトもさることながら、後藤真希の脱退宣言が影響していると思われる。
モー娘。の知名度は抜群ではあるが、CDのセールスは確実に落ち込んでいる。そんなモー娘。をみていると、その昔、項羽が垓下で包囲されたときに詠んだ詩の一節を思い出してしまう。
時(とき)利あらず 騅逝かず
騅の逝かざるを奈何(いかん)すべき
5期生フリークの私が言うことではないかもしれないが、5期生オーディションを行わなかったら、あるいは、別の選択肢を選んでいたら、ターニングポイントを迎えることはなかったように思える。
(参考資料:扶桑社「おニャン子白書」1987年8月発行)