本稿は1998年10月発行のスクランブルエッグ第9号に掲載された記事です。
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Misiaのファーストアルバム『Mother Father Brother Sister』を日課のように毎日聴いている。
6月24日に発売されてから売れに売れ、8月に入って180万枚を超え、200万突破も時間の問題。こんなに売れていいんだろうか、と思ってしまう。
私が知ったのはデビューして間もないときにJ-WAVEというFM局の深夜番組(※)にゲストに出て生歌を披露したときだ。安定した歌声、ソウルフルなリズムと音楽的背景を持つことから、しばらく追っかけてみたいと思った。
Misiaのどこがいいのかと問われれば、「質がいいところ」と答える。ただ、私が考えていた「質」とは、ミュージシャン受け、コアなブラックミュージックファン受けする「質」という意味であった。まさか100万単位の大多数に支持される「質」をも内包しているものだとは思っていなかった。
声はいい、音程はいい、リズムはいい、発声もスウィング感もバッチリ!音楽的背景も理想的だし、用意された楽曲も黒人ノリのリズムとメロに、親近感が持てる歌詞が用意されていた。こういうセンスを持った人が突然現われて大ヒットするような音楽シーンになっているとは思っていなかった。
同じようなことが10年ほど前にもあった。DREAMS COME TRUEのヒット。ただし当時の私はどっぷりとジャズにひたっていたので、吉田美和のボーカルテクニックは認めていたものの、年齢的にも感覚的にも近すぎて(狙っていることがあまりにもはっきり見えすぎて)素直に受け入れることができなかった。
私事が続くが、ちょうどそのあたりから私の音楽嗜好が洋楽から邦楽中心になってきていた。「スクランブルエッグ」に関わってきて、日本のポップスについていろんな角度から考察し、原稿も書いてきた。
だからどっぷりと邦楽にひたったつもりだったが、それでもどこか黒人ノリの16ビートを渇望していたようだ。ここ数年間、16ビートの「黒い」ノリを持った日本人女性ボーカリストが少なからず出てきた。だが食いつきはいいが、やっぱり嘘っぽかったのですぐに飽きるのだ。結局のところ音楽的背景の問題なのだろう。そうあきらめかけていたときにMisiaに後頭部をハンマーで叩かれた。
待ちに待ったアルバム----心して聴いた。
このアルバムを聴いていられたらもう洋楽に飢えることもないし、洋楽を聴く必要もないとさえ思えてくる。ライブに行かなくても十分すぎるほど満足感を得られる。日本人アーチストでこんな気持ちになったのはこれがはじめてだった。「洋楽的センスで構成されたピュアな日本の音楽」とでもいおうか。
このアルバムは「ジャンルを超えた名盤」として私の中に確固とした地位が築かれてしまった。Misiaがどんなプロフィールで音域がどのぐらい広くて、どんな内面で技術はどうか、制作サイドはどういう方針なのか、なんてことはもはやどうでもよくなってしまっている。「作品」がここにあるだけでいいじゃないか。私が日本の音楽を聞いている中で、どうしても満足できなかった部分、誰も作ってくれないのならここは私が作るしかない、と漠然に思っていたことがこのアルバムに具現化されていた。この衝撃は大きい。
私自身の今後の執筆・編集活動にも大きな影響を及ぼすだろうことは間違いない。それほどまでにショッキングなアルバムだった。(岡田隆志)